大山稲荷神社
村上海賊見張台
天授3年(1377)釣島箱崎浦の合戦に勝利した村上師清(もろきよ)は、その子、顕長(あきなが・又三郎吉豊)を因島村上氏の初代とした。
この合戦は、尾道三原から今治までの瀬戸内海中央部の制海権を握る重要な戦であり、この後因島村上氏の時代が、現在の尾道市因島土生町の長崎城から・後に重井町の青木城に移る6代180年間続くのである。
「日本最大の海賊」と言われた村上海賊は、掟に従って航海の安全を保障し、瀬戸内海の交易・流通の秩序を支える海上活動を生業とし、合戦でも厳島や木津川口等で、その勇名を馳せた。室町幕府が滅亡し、戦国時代に入った日本では、全国いたる所で戦がありました。
昔日の村上海賊の活躍を偲ぶとともに、この見張台から見遥かす瀬戸の穏やかな海のような、今日の平和な日本での日々に感謝致しましょう。
この合戦は、尾道三原から今治までの瀬戸内海中央部の制海権を握る重要な戦であり、この後因島村上氏の時代が、現在の尾道市因島土生町の長崎城から・後に重井町の青木城に移る6代180年間続くのである。
「日本最大の海賊」と言われた村上海賊は、掟に従って航海の安全を保障し、瀬戸内海の交易・流通の秩序を支える海上活動を生業とし、合戦でも厳島や木津川口等で、その勇名を馳せた。室町幕府が滅亡し、戦国時代に入った日本では、全国いたる所で戦がありました。
昔日の村上海賊の活躍を偲ぶとともに、この見張台から見遥かす瀬戸の穏やかな海のような、今日の平和な日本での日々に感謝致しましょう。